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編集部のコレチェック

アクロス・文化学び塾「生誕150年記念 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語」展への誘い

2月22日(金)より長崎県美術館で開催される『クリムト 黄金の騎士をめぐる物語』展を前に、クリムトへの理解が深まり、展覧会をもっと楽しめる講座が開講されました。
お話してくださるのは長崎県美術館学芸員の川口佳子氏。

甘美で華麗なスタイルで多くの人々を魅了するクリムトですが、今回はメイン作品《人生は戦いなり(黄金の騎士)》に象徴される、クリムト自身の芸術の創造を通した戦いに注目した内容となっています。
華やかな画業の裏にどんな戦いの歴史があったのでしょうか?

■クリムトの時代

《人生は戦いなり(黄金の騎士)》1903年(愛知県美術館蔵)

クリムトの生きた19世紀末ウィーンがどういう状況だったかと言うと、

  • 【王室】ハプスブルグ王朝下の最後の繁栄を謳歌
  • 【音楽】ウィンナーワルツの全盛。さらに、後期ロマン派のグスタフ・マーラーも登場
  • 【心理学】フロイトが人間の無意識や性の根源を究明
  • 【都市計画】リングシュトラーセ(環状道路)建設に伴う建築ラッシュ

という時代でした。
彫金師の息子として生まれたクリムトは建築ラッシュによって需要の高まった室内装飾画家としてスタートしました。当初は伝統的なテーマが主流でしたが、そんなクリムトに強い影響を与えた室内装飾画の大家マカルトが早くに亡くなったため、クリムトはこれまでの呪縛を逃れ、マーラーやフロイトの影響も受けながら、独自のスタイルを歩むことになります。

■クリムトの戦い

ウィーン分離派の設立

1897年、ウィーンの美術界で革新派と目される若い芸術家たちがウィーン分離派を結成。クリムトは初代会長となります。それまでの展覧会の多くは公募して入選した作品のみを展示するというものでしたが、ウィーン分離派は芸術家自身が企画した展覧会を開催しました。絵画、工芸、建築の境界を取り払い、芸術を総合的に高めていこうとします。

ウィーン大学講堂の天井画

ウィーン大学講堂天井画「哲学」「医学」「法学」が批判を受け、依頼者である文部大臣が攻撃される大スキャンダルに。

ウィーン分離派からの脱退

芸術性の対立や、金銭的問題などで、クリムトとその仲間がウィーン分離派から離脱。

ウィーン工房

ホフマン率いる「ウィーン工房」との共同作業により、家丸ごと贅を尽くしたストックレー邸の壁画を制作。

■戦いの果てに

ウィーンの旧弊な美術界と戦い、仲間との対立等も経て、自由で新しい芸術を生み出そうとしたクリムト。数々の戦いを経て、クリムトは甘美で華麗なスタイルを獲得します。クリムトと聞いて誰もが思い浮かべる、金とモザイクを多様した黄金様式。正方形のフォーマットもクリムト独自のものです。
また、装飾的でありながら機能的な、オーストリア全体の「ユーゲン・スティール(アール・ヌーヴォー)」の確立もクリムトとその仲間の功績といえます。

長崎県美術館 学芸員 川口佳子氏

今回の講座を聞いて、時代が求めるものは多種多様なパーツが絡み合ってできるのだと実感。
彫金師の父、フロイトの心理学、ウィーンの都市計画、室内装飾の隆盛…など、その時代の大きな渦の中で湧き上がったのがクリムトの人気であり、もし時期がずれていたり、国が違っていたら人気画家クリムトは存在しなかったのかも!?とても運命的なものを感じました。
時代がクリムトを作ったとも、クリムトが時代にピタリはまったとも言える、これが“時代の寵児”というものなのでしょう。

最後に川口氏より、今回の展覧会についてママたちへのメッセージいただきました。
「クリムト自身が騎士にのせた思いや人生、画業の豊かさなど、クリムトに対する新しい見方を発見できる展覧会になっています。また、絵画以外にも、優雅でスマートなジュエリーや工芸品などもお楽しみください。」

「生誕150年記念 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語」
会場:長崎県美術館(長崎県長崎市出島町2-1/TEL.095-833-2110)
会期:2月22日(金)〜4月7日(日)
( テキスト:サッキィ2013/02/15 )
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